INONOBA ~月記・降っても晴れても~

INONOBA ~月記・降っても晴れても~

2018年2月13日

たまたまですが、1月に「雪」の話から始まり、次が「月」ときたので今回は「花」と続けてみましょう。
僕の好きな「花」のことばを羅列します。

盛りなり 花咲くまでのうたた寝に 梅さえ香る 軒の春風

沢庵和尚は剣聖・柳生宗矩に「剣禅一如」を説き不動智神妙録を著した人物です。
紫衣事件の時、流刑となった沢庵和尚が詠ったと言われています。

花は心、種は技。
男時・女時
風姿花伝の世阿弥の言葉です。「まことの花」という発想や、同じように努力して咲かせた花でも、ある一方がいい結果となり、他方が評価されない、そんな時もあるといった考え方は、多くの示唆があり、とても勇気づけられます。
風姿花伝は能のすぐれた書物ですが、すぐれたものは時代を超え、地域を越え、ジャンルを越え、すべてにおいて通じるものがあるからこそ優れていると言われるのではないかと思います。
僕がよく不遜にも「卓球にしか使えないような発想なら大して重要ではない」とバッサリとやってしまうのは、こういう意識があるからですが。そういった意識はもちろん諸刃の刃です。

花無心に咲く
良寛さんの言葉として知られています。
その後、
蝶無心に花を他訪ぬ
と続くようです。
いいなあ、無心に生きていきたいなあ。
でも難しいんだよな、それが。


2018年2月1日

ブラッドムーン

昨日は1月2度目の満月でした。1ヶ月に2度もフルムーンになるのは珍しいのだと友人に教えられました。
しかも昨日の月は地球自らの陰によって月がかげる皆既月食だったそうです。
自分がつくった影に月が曇るというのは、ちょっと悲しい気持ちになりますが、ずっと太陽に照らされているお月様にとって、しばしの日陰を地球がつくってあげたのだなと考えると、それでよい気もします。
沢山の人の様々な想いを受けてなお、冴え冴えと夜空に光り輝く孤高の月は、どの時代においても、ひとりひとりの心を清々しく癒す拠り所なのでしょう。

碧巌録に

誰家無明月清風 誰が家にか明月清風無からん

という禅語があります。月や風の入らない家などどこにあろうか?という意味かと思います。
月かけのいたらぬ里はなけれども眺むる人のこころにぞすむ
と法然上人は言ったようです。

あ、ちなみに僕はどこの宗派にも属していません。「仏陀が言っても、キリストが言っても、自分の大嫌いな人が言ったとしても、いいものはいい」というスタンスです。全てにおいて門外漢であり、門前の小僧です。

今夜も月が出ています。雲も浮いています。そろそろ花も香ってきそうです。それでもう十分ありがたいことです。


2018年1月22日

大雪。

午後になって降り出した雪はかさをまして降り続け、次第に車や人の立ち回る音さえもかき消していきました。
6時頃から雪かきを始めましたが、今回の雪はパウダースノーで風にさらわれ雪の粒子が空に舞う景色はとても素敵で、とても楽しい雪かきとなりました。
9時を過ぎるとこのステキな贈り物も段々と減ってゆき、雪かきを終えた12時過ぎにはほとんど止んで、風だけが空に吹き渡っていました。
でも自然は恐ろしいものです。それを軽んじるつもりはありません。今回はたまたま僕のまわりには、贈り物のような「ステキな雪」が降りましたが、この雪のために大変な思いをされた方も沢山いらっしゃいますし、命を落とす危険は常にどこにだってあります。
「いつでも」という覚悟が必要なのは何に対してもだと思います。
何か事がおきた時「どうして自分の身にこんなことが?」と取り乱さないように毎日を感謝して生きていきたい、そう改めて思わされた雪でした。

太郎をねむらせ 太郎の屋根に雪はふりつむ
二郎をねむらせ 次郎の屋根に雪はふりつむ
ー三好達治ー


2018年1月1日

あけましておめでとうございます。

今年の目標は「再挑戦」を掲げました。
10月のことです。
でも昨年末、色々なことを考えているうちにムクムクと新しい挑戦をしたくなってきました。
え~い!片っ端から真っ正面から向き合って逃げずに立ち向かってみよう、そんな気分になってきました。
闘志がむくむくと湧いてきました。

あ、こいつは春から縁起がいいわいなぁ。


2017年12月31日

白紙に絵を描くように

大晦日になって実家の塀のペンキ塗り。
夏にしようと思っていたのがここまでズレこんだ。まあしないよりはマシだろう。時折雪が舞っている。
僕の定番のペンキ塗りの歌は柳ジョージとレイニーウッドの「青い瞳のステラ」

 白いペンキ何度も塗りかえす 夏の風の中で(中略)
 うまいもんさ あんたに教わった ちょっとイカしたステップ
 褒めてくれよしゃがれた声で 芝生の下で眠っていずに
 褒めてくれよブルーアイズ細めて 芝生の下で眠っていずに

荻村さんが教室の初めに必ず皆さんに「初めての方も、ベテランも、これから真っ白な紙に絵を描いていくような心境で取り組んで下さい。」と話されていましたが、初めてお会いした時の荻村さんと同じ年になった今、よくその難しさを実感します。


2017年12月18日

美しい星

メンバーのSさんは映画好き。Sさんの勧めで吉田大八監督の「美しき星」というDVDをみせていただいた。
現実逃避をするような妄想癖のある家族が、その妄想のために崩壊し、その妄想のために救われるという物語だ。原作はなんと三島由紀夫。吉田監督は三島由紀夫の文学作品を漫画のようにデフォルメし、それを更に実写して撮るという二重のアプローチをしたように感じる。
文学作品をそのままに格調高く映画にしたのは沢山あるし、漫画化したものはあるが、それを漫画的に映画化したものはない。(もちろん僕が知る限り)たぶん吉田監督の挑戦がここにあったのだと思う。
今回は残念ながら評判評価も今ひとつだったと聞いた。
しかし僕にとっては、今年みたDVDの中でNo.1だった。
よければ皆さんもどうぞ。
ただし吉田監督は「桐島、部活やめるってよ」というような作品だけでなく「クヒオ大佐」「パーマネント野ばら」など、まるでフグのような、美味しいけれど毒がある、というような作品をつくり続けているので、あたらないように十分ご注意ください。
来年2月には「羊の木」という新作が劇場公開です。


2017年12月15日

おばあさん

時々、自分をリセットするために行く場所がある。ステップインから車で10分ぐらいの神社のある小山だ。そこでぼーっとしながら歩いているのだが、その日神社の石段でおばあさんに出くわした。
こんな時はできるだけ人と関わらないようにしているのだが、何となく挨拶をしたら、語りかけてこられた。
「今日はいいお天気になりましたねぇ。人は晴れていたら晴れていたで文句を言うし、雨が降ったら雨がふったで、あれこれねぇ、自分勝手に文句を言うのよね。こうして生きていけるだけで、ありがたいことなのにねぇ。」と、のんびりとした口調で、ドキッとするようなことをにこやかな表情でにおっしゃるので、ついしばらくお話をさせていただいた。
おばあさんの廻りに猫が沢山いたからということもある。
(僕は昔から良く猫に好かれるのだ。)

来年の目標は「再挑戦」。
ステップインが今の場所へ移転した時には「スケールアップ」というのを目標にした。
自分の求める物は何か?場所だけがスケールアップしてもしょうがない。自分の夢がスケールアップしなくては。
この4年間でスケールアップしたところ、しなかったところ、しなくてもよかったこと、しなくてはならなかったことなどをよく吟味し、自分勝手にならないように気をつけながら、新たな情熱をもって再挑戦したいと思います。


2017年12月10日

ミッシェル・ブロンデル

卓球王国の12月号をめくっていて驚いた。昔フランスから荻村さんのもとに修行に来ていたミッシェル・ブロンデルがドイツのLIEBHERR
Masteers Collegeという民間の選手養成機関でスポーツディレクターとして活躍しているというのだ。
国籍を越え、協会の垣根や肌の色も関係なく、「世界で活躍する」選手を育成する夢を持っているそうだ。
当時僕らは20歳ぐらいだった。ミッシェルは選手としてというよりは、指導者としての勉強をしたいと言って荻村さんのもとで一緒に頑張っていた。帰国後の彼は目覚ましい活躍をして、フランスのクラブチームの監督になり、そしてナショナルチームの監督となっていった。
最近ふと「あいつ監督を辞めた後、どうしているかな?ステップインを一緒にやってくれないかな?連絡してみようかな」なんて思っていたところだったので驚きはひとしおだった。考えてみたらもう十何年?いや二十年は連絡をとっていない。

ミッシェルは若い頃から変わっていて(ミッシェルごめんね、でも僕らはみんな変わっていたよね。)戦争絶対反対の立場から徴兵制を免れるために気違いのフリをして奇行を繰り返し、暴れて、精神異常のレッテルを貼ってもらい本当に徴兵されなかった。

「イノセん、私アルパチーノにそっくりね。特に鼻がね。背は私の方が高くてカッコいーね。」
僕が「あの映画の?ゴッドファザーの?」って聞き返すと、「イノセん、ああ、Godfatherですか?」って発音を何度も訂正され、「こいつ、小さいことにくどいゾ、国際紛争はこんなささいなところから始まるんだよ、たぶん」「それに俺はINNOCENTじゃなくて“いのさん”なんだよ。」なんて会話をしていた。
ミシェールは同い年で、日本の文化が大好きで、日本語がうまくて、自分の信念と情熱と行動力があった。おまけにユーモアも。
 まわりがやってないことがやりたい。何でもいいから自分の手でやりたい。小さなことでいい、世界を、自分を変えたい。そう、自分=世界という若くて傲慢な情熱と純真さを僕らはまだまだ持っていたし、時代はそれを容認してくれていた。
合宿の帰りのことだ。みんなで川に立ち寄った時、子供が川を流されていた。いち早く気がつき川に飛び込んだのもミシェールだ。急流を流されていく子供とミシェールを荻村さんはじめ仲間達とヒューマンチェーンをつくり、助けだした。
みんな若くて熱くてまっすぐだった。恐れるものは何も無いというぐらいに世界を知らなかった。もちろん荻村さんは全てをわかっていて笑って見守ってくれていたのだけれども。
 あの頃の僕らはとびきり光っていて、とびきり泥臭かった。でも、考えてみると実は「僕ら」ではなく、「あいつらは」だったようだ。
う~む、自分の夢はしぼんできていないか?夢を手に入れるための努力を諦めずにしているのか?
少し考えてみよう。


2017年12月3日

平野早矢香さんAGAIN

1年ぶりに平野さんにお会いしました。
今回はステップインの企画ではなく、僕が初めてラケットを握り、荻村伊智朗さんに手ほどきを受けた場所、池袋西武のコミニティカレッジの主催です。
平野さんのマシンガントークも健在で相変わらずステキな方でした。
平野さんは来年大学院を受験するための勉強と新刊執筆で忙しいようです。
平野さんの話は去年に比べて驚くほど洗練されていて見事でしたが、僕の好みとしては考え考え話しをしてくれた去年の聴衆参加方のフリートークのほうが好きです。実技は全員が平野さんと1分づつ打てて大満足でした。
10年後の平野さんはいったいどうなっているのか?ますます楽しみです。ああ、もちろん自分の10年後もね、恐いもの見たさでちょっと楽しみです。


2017年11月20日

荻村伊智朗さん

12月4日は荻村伊智朗さんの命日になります。
ステップインには僕が荻村さんにいただいた言葉が貼ってあります。
一部をご紹介します。

○勝った時は偶然 負けた時は必然と思え。
○自分が良いことをしてもツイてないことがある。相手も同じだ。 チャンスはイーブンと思え。
○今何をすればいいのか?自分は何をしようとしているのか?そして何ができるのかを考えろ。
○何がおきるかわからない。どんな時にも自分にとって最善をつくせ。
○勝ちそうな時にも負けそうな時にも、一本一本工夫をこらし、闘志を盛りたてよう。
○試合をやれる今の状況に感謝し、その時々に最善をつくす癖をつけることが勝負勘を養う。
○自分の好きなことだけやるのではベストをつくしたとは言えない。
○調子が良いから勝てるとは限らない。調子が悪いから負けるということもない。悪い時にクさって諦めたりするのはわがままなプレーだ。
○試合は基本的に楽しいことだ。必要以上に固くなるのはばからしいことだ。
○試合で固くならず気持ちが高揚しないなら、感激も無い。
○今は弱くても必ず強くなるんだという誇りを持ち続けることだ。
○「よし、ひと工夫して、このピンチをひっくりかえしたらどんなに愉快か」と考えて工夫すると元気がでるぞ。
○からだが不調だとものの見方が暗くなる。いいプレーがしたいなら内蔵を弱くしないことだ。
○できるだけ多くの人と喜びを分かち合えるような勝ち方をしろ。
○長所を活かすためには他の部分の水準もあげなければそれを十分にいかすことはできない。
○戦争とスポーツは違う。どんな手段を弄しても邪を打ち砕くというような戦争理論はスポーツにあってはならない。
○まず登る山を決めろ。登る山が決まったら、それぞれ、それにあった準備をしろ。
○巧くいかない時、それに囚われて全体を見失うな。
○固くなるのを防ぐすべは無い。固くなるのを恐れるな。
○挽回しても、されても10オールに何の変わりもない。気持ちの明るい方が有利だ。
○強気とムキになるのは違う。ムキになれば戦わずして負ける。冷静な判断の伴った強気が大事だ。
○全ての文化は自立する。
○同じ負け方をしないということも同じ相手に二度負けないということも、自己革新をするということに他ならない。
○成功も失敗も情報としては等価値だ。
○世間の目はよしとして、己の信念を貫き頑張り続けて実績を積め。証明するんだ。
○よし、自分はもっと上をやってやるぞ、という気持ちを持っていれば必ずお互いのプレーは良くなる。
○チャンピオンの称号は優勝のご褒美ではない。みんなを代表することのできる信頼のおける人格と技量のある人こそがチャンピオンというのに相応しい。
○スポーツは文化そのものだ。
○性格の強さ、弱さが勝敗の全てを決めるわけではない。長所がでれば強く、短所がでれば弱い。
○慌てることがピンチを招く。
○勝った時には言動を押さえ気味にして力を蓄えろ。

こんな言葉を山ほど下さった荻村さんと先人達に感謝。
荻村さんが愛してやまなかった「卓球」「卓球を超えていける卓球」は、いまだ僕をとらえて離さないのです。


2017年11月8日

INONOBA 月記 ~降っても晴れても~

文章を書かなくなって久しかったのでこれはいかんと思い書き出したのがINONOBA。
去年の8月から書きはじめて、いつの間にか1年が過ぎていました。
お目汚しをして申し訳なく思いますが、伊野を育てると思って勘弁して下さい。

さて、INONOBAの意味ですが、もちろん「伊野の場」で、「ボサノバ」ともかけています。
「BOSSA NOBA」はポルトガル語で、「新しい感覚」、「新しい傾向」という意味だそうですが、伊野の感覚は鎌倉時代なんじゃない?と皆に言われていますし、僕もそんな気がしてます。

「降っても晴れても(Come Rain Or Come Shine)」はジャズのスタンダードで、「何があっても、どんなときにも、私はあなたを愛す」といった歌詞のようですが、INONOBAはまたも甲斐バンドからのチョイスで、「ハート」という曲の「♪降っても晴れてもいっちょうらの愛(1番)」「♪いっちょうらの涙(2番)」という歌詞の「降っても晴れても一張羅」がいいなあと思ってつけました。

「ぼろは着てても心は錦」って感じがいいでしょ?
えっ、古いって?
いや鎌倉でなく昭和ですから、まだまだ新しい。


2017年10月23日

茶禅一味、剣禅一如

私の恩師である斉藤先生が米寿を迎えられました。
心よりお祝い申し上げます。

斉藤先生は本当に清々しい方です。いつでも自然体で、気さくなのに凛としていらっしゃる。
どれだけ日常的に気を引き締めて生活していらっしゃるのか、それを思うと身が引き締まります。
まるで「本物のチャンピオン」達のようです。「二流のチャンピオン」では足下にも及ばない。
そんな先生と巡り会った私はとても幸せだと思います。
私はとても恵まれていて、卓球では荻村伊智朗さんに晩年の10年間、本当にかわいがってもらいましたし、斉藤先生には8年ほどその社中に加えていただき、お茶のお稽古を通して様々なことを教えていただきました。(お稽古の時間が仕事の時間と重なり、折り合いがつかずに断念しましたが。)
これまで大勢の「本物」と出会い、刺激を受けてきました。
しかし「他是非我(他はこれ我にあらず)」と言います。「本物」を知っていても私は「本物」ではない。程遠い。年を重ねれば重ねるほど遠ざかっている気がします。
そうだとしても、これまでの出会いを活かせるよう、斉藤先生の米寿を機に、あらためて自分の「在り方」を考えてみたいと思います。

先生、おからだに気をつけて、今後ともどうぞご教授お願いします。


2017年10月20日

経験

「何事も経験だ」と人はいいます。
最近では冒険もののゲームで「経験値があがった」ことに腐心するようです。

剣聖とうたわれた宮本武蔵は「千日の稽古を鍛、万日の稽古を練という」と五輪書の中で書いています。

経験も、量をこなし磨き込むとか、染み込ませないと本当のことがわからない。見えてこないものが沢山ある。あるいは手に入らないものが沢山あるということでしょう。また滑らかな動きやスムースな思考を手に入れるためにも、ルーティンは必要なことでもあります。「経験を積む」とはそういうことです。
またドイツの宰相であったビスマルクは「愚者は経験に学び賢者は歴史に学ぶ」と言ったそうです。

これは先人(他者)の教え(経験)も取り入れていく姿勢がうかがえる、つまり自分と他者との経験を“共有”するキーワードになると思います。

(ビスマルクと武蔵のとりあわせってすごいなぁ。でも、ただ頭に浮かんだままを無理にこじつけているので、やっぱり無理があるなぁ、この文章。」

ハードボイルド小説で有名なロバートBパーカーは主人公の探偵スペンサーに「経験が大事なのではない、大切なのは経験をどう活かしたかだ」と語らせています。
沢山の経験(鍛錬)も工夫が肝心で、よりよい工夫をするためには歴史を含め他者からも学び、それをコツコツと毎日毎日倦むこと無くやり続けることができる人が一流になるということだと思います。

(スペンサー+ビスマルク+武蔵•••、う~む、違う結びつけ方を考えようっと。これは失敗したな。いい経験になったゾ。)


2017年10月10日

竹の春 ~Tくんへの手紙~

Tくん
元気ですか?
なにをするにも似つかわしい秋がやってきました。
 先日ひさしぶりに実家に戻ると、春に植えた竹がぐんぐんと伸びていて、屋根を見下ろす程になっていてとても驚きました。
Tくん、
「竹の春」というのを知っていますか。
秋のことをそう呼ぶのです。実際、1年の内で最も成長し、その繊維が充実する季節で、1日に十センチ近くも伸びるそうです。それこそ見る見るうちに伸びていきます。
他の草木が春から夏にかけて最も美しいのに、それらが枯れ色になる頃になって、ようやく竹に春が訪れます。
 人間ものびる時期は様々です。ですから他と比較して「芽が出ない、花咲かない」と嘆き哀しんでもしょうがない。そんな時は無心にひたすら次の季節を待つだけです。焦って自分の花を咲かせることばかりに夢中になり無理をしすぎると、自らその芽を刈りとってしまうような悲劇を起こしかねません。そして自分の花どころか、廻りの美しい花にさえ気づかずに終わってしまったり、それを踏みにじっておいて気がつかないなんていうことも起こりうる。それは恐ろしく残念なことです。
 竹の花は滅多に咲かないそうです。でも竹群を見て「花が無くてつまらない、汚い」なんて思う人はまずいないでしょう。それどころか空に向かってまっすぐにのびる竹は清々しく、その美しさは感動的ですらあります。
 よく考えてみると、何かに精一杯取り組んでいる人の姿はもうそれだけで美しく、すでに「花」そのものであることに気がつくはずです。欲ばる必要なんてまるで無いのです。だから自分を含めた辺り一面をあるがままに見つめその美しさを愛でましょう。
そんな風に考えると僕もTくんもなかなかのものだよ、きっと。
ようやく、それに気づいたよ。

 近頃僕のまわりのあちこちで青竹が空に向かって伸びているのをたくさん見つけ、とても愉快な気持ちでいっぱいです。
 今度久しぶりに会ってタケノコご飯でも一緒に食べましょう。   また。

この文章は僕が30歳の頃に書いた文章で、今から20年ちょっと前のものです。拙い文章ですが、某大学中等部のモノ好きな体育の先生の目にとまり授業で紹介されたモノです。
今日引き出しの奥から出てきて、その青々とした文章がちょっと嬉しくて、ついここに載せてしまいました。20年前も今も思っていることは同じだと改めて思いましたし、これが僕の根っこに大きく横たわっているものなんだろうなと改めて思います。


2017年9月17日

福岡さんと平野さん

去年今年と平野さん福岡さんと接して思うことは、はからずも両極のお二人をお呼びしていたんだなということです。
福岡さんは最速の卓球を目指した言わば「必勝」の戦術。平野さんは頭脳プレーとそれを遂行するための精神力と持久力を基調とした「不敗」の戦術ではないかということです。
平野さんの模範プレーは、みごとにミスをしなかったし、相手のミスを誘う具体的な戦術も紹介して下さった。「ミスは絶対にしないぞ、さあどこからでもかかってきなさい」という姿勢が凄かった。対して福岡さんはミスをしても、そのスピードや回転を落とすことは決してなかった。ハイリスク・ハイリターン。荻村さんの51%理論の例もあげられていましたが、ミスを恐れず絶対にひるまない、果敢に攻めて攻めて攻めまくる気高さをみせて下さった。

ここ二十年ばかり僕は指導の中で「卓球はラリーのスポーツですから、まず大事なのはミスをしないことです。」と言うことが多かったのですが、少し発想が保守的で貧困になっていました。また言葉にウソがまじっているのに気がつきませんでした。
ハイリスク・ハイリターンの練習もしっかり取り入れていかないと、試合においても結局「取りこぼしが無く、勝てる相手にだけ勝てる」といった卓球になってしまいかねない。実際のところ自分より強い相手と対戦したならリスクをおったことをしなければまず勝てません。
「卓球はラリーのスポーツです」と言い切るのは間違いです。卓球の一面としての勝負を考えてみても、ラリーをしたら不利になるという場面は沢山あります。
また自分の方が相手に対して速さで勝っているのに、わざわざラリーに持っていく意味はあまりない。それぞれ機をみてということになります。
また、愛好者スポーツとしての卓球の一面を考えても、「より正確でミスをしない」という、言わば日常の社会生活、仕事と同じような取り組みをしてもつまらないわけで、「より速く」、「より強く」などはもっとも非日常的なスポーツの醍醐味でもあるわけです。
言い方として妥当なのは「卓球はラリーも魅力なスポーツです。」といったところでしょうか。
「卓球は繊細微妙なスポーツですね」と、しみじみ故・新井惠雄先生(哲学研究者、成城大学名誉教授)はおっしゃっていましたが、卓球もまた全体像が把握しにくい、まさに巨像のごときモノであり、それがゆえに卓球の「繊細微妙」な多面性は人々を魅了してやみません。
ああ、また脱線しました。
でもまあ、ひるまず進んでいきます。


2017年9月9日・10日

福岡春菜さん講習会

すごかった。「色んな意味でびっくりしますよ。」とメンバーの方に言っていたのですが、言った僕自身も改めてびっくりしました。
サービスのスゴさに度肝を抜かれ、
打球点の速さに圧倒され、
粒高の幅の広さに目をみはり、
福岡さんの話のうまさ(漫才を見ているような軽妙さ)に心和まされ、
その格好の良さにみな酔いしれました。
何よりみなが口を揃えて絶賛したのが、その人柄の良さと、真っ直ぐさ。
嬉しかったのは、
粒高やサービスで相手に「バレないように」とか、「ごまかす」
とかいった言葉がひとつも出てこなかったこと。

福岡さんにもお話したのですが、毎日毎日必死に練習していることが、相手にバレない技術であったり、ごまかす技術だったら、哀しい。

自分のやっていることの本質が人を欺くようなことであるなら、スポーツなんぞやる意味はない。そこに喜びを感じるような人なら、犯罪者になったほうがいい。私たちのやっているスポーツは犯罪や戦争の予行練習などでは断じて無い。
毎日毎日人を欺くことに血道を上げているような人を、日常生活は別だと割り切って信用するなど僕にはできません。

現実的には試合では相手が嫌がることをした方が勝ちやすい。しかし、自分にとって嫌なことは自分を磨く糧だと考えるのなら、つまり、お互いに自分を磨くために難しい問題を相手に投げかけあうんだという意識があれば、スポーツが本当にすばらしい文化として花咲くことになるでしょう。
そんなのきれいごとだという人がいるかもしれません。しかし相手の嫌がることをやれば勝てるなんて、それこそ甘っちょろい話です。なぜなら相手の嫌なところをしようとすればするほど、全て相手の後追いになっているからです。後を追いかけていっても絶対に追いつけない。それが真実です。

30年以上前、よく荻村さんの合宿に参加させていただいていましたが、その合宿ではスウェーデン、フランス、ドイツ、二ュージーランド、オーストラリアほか参加した全ての国の選手達にお箸を使わせ、納豆や、漬け物、生卵、全て食べさせていました。食べなければ国へ帰すと。
外国人にとって、これは練習より辛かったと思います。今の日本だったらアレルギーやらなにやらで、新聞沙汰になったかも知れませんが、これはもちろん意地悪やいじめではなく、「苦手意識を無くす。嫌いなものに挑戦する。」ためのトレーニング。そして正にこれこそが勝負の極意でしょう。古今東西、勝負に関して語り続けられているものは、エピソードは様々でも、本質はそこにあるように思います。

話が大幅に脱線しました。
勝つためには何をするべきか考えていった時にヨーロパの選手達に比べ、体格に優れていない日本人はドライブの引きあいより、スマッシュや角度打ちを多く使いたい。速攻をするためにボールを少し浮かせたいための王子サービスであり、粒高であるという発想のもとに技術を組み上げているというのが明確で嬉しくなりました。
この30年、全体として日本の卓球界をみると、「ドライブの時代」と言われると右に倣えで皆がドライブをしはじめるし、「速さの時代だ」となるとみんながそれにとびつくといったマネばかりしていて「何のために」という一番大事な核になる部分が全部人任せになっている感じは否めません。これは一流選手でないプレーヤーにも伝染しています。うまい人のマネをするだけでは、もちろんその人を超えられない。その技術の持つ本質をつかみ取ろうとしない限りはマネといっても「猿真似」でしかないのです。「古人の求めたるところを求めよ」とはよく言ったものです。

また脱線しました。僕の乗る“A”トレインにはもともと線路がないようです。
あまりに多くの刺激を受けたので、ちょっと興奮しているのでしょう。
とにかく福岡さんはとてもステキな方でした。みんなこぞってフアンになってしまいました。二日間、本当にありがとうございました。またお会いできますように。

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2017年8月10日

暴力

「暴力」について、少し。

指導や教育の現場で体罰が問題になることがあります。
暴力ははもちろんいけません。
しかし昔は親に頭やお尻をよく叩かれました。
お尻はもちろんかなり強く叩かれてもダメージが少ない場所ですし、頭を叩く時にはげんこ(握りこぶし)をみせて、息まではきかけて、「さあこれからぶつぞ」と子どもに覚悟をさせてから、こぶしではなく手の平でぶたれていました。
さらに行き届いたことに、やや横滑りに叩くという手のこみよう。
絶対にケガをしないように配慮してくれていた。
叩かれた人間が感じるのですから、これは「愛のげんこ」というやつでしょう。

今となっては叩かれた原因は覚えていませんが(ごめんなさい。ぶたないで。)、親の繊細な配慮、愛情だけはしっかりと覚えています。


荻村伊智朗さんのエピソードです。
ある時、日本代表選手の強化担当の方が選手をよく殴っていたそうです。
荻村さんは「暴力に屈するような選手を育てても世界では戦えない。
暴力で言うことを聞かせるというやり方は意味が無いからやめた方がいい。」とやんわりと諭されていました。


2017年8月1日

スポーツの定義

スポーツの定義はさまざまでしょうが、「ある一定のルールの中で、人がどれだけ獣と同じようになれるか」というものなら、私はそこに何の魅力も感じません。
あるいは「ルールの中でなら何をしてもよく、バレなければオッケー、バレないようにやるのもテクニックのうち、相手を蹴落としても勝てばいいんだ。」などというものなら、一部の人をのぞき、ほとんどの人がそっぽを向くでしょう。仮にそんな人が世界チャンピオンになっても、そこには多くの人が憧れ、夢や希望を持つものは何もない。
僕が大好きな卓球は、もっと高尚なものです。間違っても「勝たないと意味は無い」なんて馬鹿なことはいいません。

「勝つ」というのはいったい何を基準にしていうのでしょう?
オリンピック優勝することでしょうか?極論ですが、all or nothingというのなら、オリンピックで連覇する人からみたら1度しか金メダルをとれなかった人は勝ったなんて言えないことになります。
僕が憧れるのはその人の夢や目標への向き合い方です。

「スポーツとは人類が肉体と精神、頭脳など、その持てる全てをかけて史上最高のプレーをパートナー達と共に目指す交歓的文化活動。」

こんな旗をかかげて頑張っている人がいるのなら、僕だけでなく沢山の人が自分自身の生活をかけてでもその人の選手生活を支えていくでしょう。
これからの子ども達に期待をしています。


2017年7月25日

野矢茂樹さんと笙とお茶

この春野矢茂樹さんにお願いして「動かないこころ~坐禅をとおしてみえてくるもの」と題して「坐禅体験」をさせていただいたのが遥か昔のことのよう。
東大駒場キャンパスへ行った日は、とても頭がクリアになり、元気一杯帰ってきました。

そのお礼をどうしようかと思っていて、たまたま笙奏者の田島和枝さんとお話をしていた時に「今度、田島さんのお宅に野矢さんをお迎えして、笙とお茶の会を開いてもらえませんか?」とお願いしたところ快く引き受けてもらいました。

坐禅の会の時は野矢さんに「本来無一物」謝礼も手土産も絶対にしないようにと言われていたので心苦しかったのですが、ようやくお礼のようなものができました。

多忙な野矢さんに神奈川から東京日の出町まで来ていただいただけで大変だったと思いますが、野矢さんとご一緒させていただくというだけで、僕はいつも目の前の霧を吹き払ってもらえるので、嬉しくて困っちゃいます。
僕だけいつも得しているようで、野矢さんすみません。


2017年7月17日

福岡春菜さんのこと。

広島に福岡さんに会いに行ってきました。
福岡さんは王子サービスの名手で、2006年世界選手権大会団体で全勝(用具審査での1敗を入れても4勝1敗)。

その年の荻村杯では現世界チャンピオン丁寧をも破っている、粒高のスペシャリストです。
その福岡さんに今年9月9日、10日とステップインで講習会を開いていただくことになり、そのための打ち合せiに行ってきました。
昨年の平野早矢香さんの時と同様、生意気にもメンバーの皆さんに引き合わせる前に「その人となりを見ておきたい」との思いからです。

自分はものすごく傲慢な人間だと常々思っていますが、ただのチャンピオンには興味が無い。
有名人に会えて感動するということは一切無い。
それどころか、「チャンピオンのくせにいったいお前は何やってんだって」と、こずいてやりたい衝動によくかられています(笑)。
こんな風に自分のことを思いっきり棚に上げてるものですから、当然のことながら色々なひとからひどくどつかれて、加えて自分でも自分を蹴り飛ばして、よろよろと歩き回る毎日です(暴力反対!苦笑)。

で、福岡さんのことですが、びっくりするぐらいとても礼儀正しく、自然体で、真っ直ぐな方のように見受けられました。
僕の知っている方々の中で、世界で戦っていた人がこんなにも自然体でいながら謙虚だというのは荻村伊智朗さんぐらいしか知りません。

いつもながらですが、無法にも何のコネも使わず、突然アプローチさせていただいたので、福岡さんにとってはびっくりだったとおもいますが、声をかけさせていただき本当に良かった。
素晴らしい出会いに嬉しくてスキップしたくなる毎日です。

みなさん、9月に本物の福岡さんに東京でお会いできます。
色んな意味でびっくりすると思います。

写真


2017年7月5日

スポーツは芸術

某卓球専門雑誌に、世界選手権デュッセルドルフ大会で3位になった中国のLiu Shiwenに対して「類まれなボールセンスを誇るLiu Shiwenだが、試合で勝利をつかむのはアーティストではなく、勝負師。
王冠は彼女のすぐそばで、ガラスのケースに飾られたままだ。」
と痺れるような文章が載っていました。

オブジェクション。

でもね筆者君、一流選手のプレーは全て芸術的なんだよ。
だいたい勝負師の勝ち方はそれこそ芸術的だと言っていいんじゃないか?
ついでに言うと、勝負師が汚い手をつかって勝利をおさめても、誰もいい気分にはならないんだよ。

はっきり言おう、勝負の在り方、戦い方、卓球への関わり方などにおいて、その世界を小さくしてしまうようなアジテートは必要ない。
プロなら人々の世界をひろげてあげられるような文章を書いてほしい。
これは僕の勝手な願いだが、世界チャンピオンを目指すなら、沢山の人に夢を見させられるような世界チャンピオンじゃないと意味はない。
卓球のチャンピオンは、スポーツ界全体のチャンピオン、人類最高峰まで目指さないとつまらないと思う。

君は知らないか?
かつてそれを実現しようとした男が卓球界にいたことを?

君は聞いたことがないか?
人類最高峰を目指し芸術的な生き方をし、引退した後も後進のために命をけずってまで努力を続け、誰にもなし得なかった「統一コリア」を実現し、今の卓球界の土台をつくった日本の誇る「本物の世界チャンピオン」のことを?


2017年6月30日

電車の吊り広告

久しぶりに電車に乗っていたいたら、吊り広告で目に入っきたのが
「本当の自分を手に入れろ」というキャッチコピー。

う~ん、「本物の自分ってなんだ?」

信玄旗と甲冑に腰を抜かしそうになるのも自分だし、電車の中で若者の殴り合いの仲裁に入っちゃうような蛮勇を奮うのも本当の自分だし……。

次に目に入ったのが「プロ意識が目ざめる」とかなんとかいうもの。

う~む、プロってなんだ?

プロフェッショナル。日本語で言うと「玄人」(くろうと)。たぶん。

「玄人」の「玄」は「本当」という意味。たぶん。

「玄人っていうのはね、苦労を厭わない人のことを言うんだよ」なんて言うと、きっとプロの脚本家にはなれないんだろうな。たぶん。


2017年6月29日

疾きこと風のごとし 寂かなること林のごとし 侵掠すること火のごとし 動かざること山のごとし

ひょんなことから、山梨に行ってきました。
まったくのプライベート。ひとり旅。

甲府駅からひたすら山梨大学の坂をあがり武田神社へ。暑さの中にも一陣の風が吹き抜ける好天にめぐまれ、心地よい日となりました。

朝早かったのもあり平日でもあり、資料館・宝物殿には人っこひとりいませんでした。

しまった、まずいところに入っちゃった。小さな資料室なのですが、ガラスケースの向こうには本物の刀と甲冑、風林火山の旗指物。
うわぁ。困った。
よっぽど引き返そうかとも思ったのですが、それも失礼かと思い。
最後まで丁寧にみさせていただきましたが、こういったものを見るときは、かなりの胆力が必要です。
平気な人は剛胆な人だなあと感心します。
すべての武具に一礼しながら、恐る恐る拝見して、出口近くなりちょっと気を抜いた瞬間、ドアの空く音がして思わず飛び上がってしまいました。
ちくしょう!次の見学人が入ってきた音にビビっちまった。
と自分の小心ぶりにため息をする、一日となりました。


2017年6月10日

「心のケアが必要な思春期・青年期のソーシャルワーク」のこと。

西隈亜紀さんからご著書をいただきました。西隈さんはプロのソーシャルワーカーとして第一線で頑張っておられる方です。
100をこえる事例をあげつつ、ひととの向き合い方・仕事との向き合い方を熱く、丁寧に語られている、読んでいて勇気づけられるご本です。

西隈さんは中学生の頃に卓球部だったそうで、ステップインにいらっしゃった時に、本棚をご覧になられ、面白い卓球場だなと思ったそうです。
ちょうど子ども教室の時間にお見えになって、「ここは子どもたちの避難場所としての役割を持っている場所ですね。」とおっしゃって下さいました。
僕の中ではまるで意識がなかったし、どちらかというと、ここはそういった場所じゃないと思っていたぐらいだったので、びっくりしました。
なるほど、子どもの避難所であり、大人の避難所にもなれるといいのかも知れない。
引っ越して3年、最近は初心からはずれてきていたことに気づかされました。

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心のケアが必要な思春期・青年期のソーシャルワーク
西隈 亜紀 (著)
出版社: 中央法規出版 (2014/7/1)

内容(「BOOK」データベースより)
若者支援の中核を成す7つのテーマについて、それぞれの要点を「かかわり方」まで具体化し解説しています。
専門機関につながる方法や本人とのかかわり方、家族問題への介入、経済問題への介入など、臨床現場で編み出された実践的技術です。
「かかわり方」の実際を、100を超える事例で紹介します。
テーマ間の関係や時間の経過に伴う変化・影響は、フルイラストの長編事例が臨場感豊かに描き出します。


2017年5月23日

今は嵐の季節

そうさ コートの襟をたて じっと風をやり過ごせ
みんな こぶしを握りしめ じっと風をやり過ごせ
今は嵐の季節
  甲斐バンド 嵐の季節

今月はトラブルが続出!
自分にとっては6件のトラブルを抱え(トラブルの数を数えるのはマイナス思考のようですが、そうではなく前よりタフになっている気がするのは嬉しいということです。良くこなしているなぁ~と。)
まだほとんどが解決できていませんが、それでも地道に毎日なんとか平常に近い状態を保っています。
まあ、抗トラブル能力の水準が低いので6件にもなっているような気がしますが、ともかくまわりの人たちに助けられています。
ありがたいことです。
こんな時はじっとしているしかない。
黙ってこらえるしかないと思いますが、そんな中でも楽しいことも種まきしてしまいます。
嵐の中を種まきしても大丈夫なんかいな?と思いますが、その行為自体が自分の希望に転換できれば種まき自体がすでに花であり実になっている。
そんなことを嵐の中、夢想しています。
ふ~、ふ~、ふふふ。


2017年5月6日

Σ.Lupinus 第10回公演「道化師」

メンバーの方が劇団員で、その方に誘われて久しぶりに舞台を観に行ってきました。

いや~、良かった。
思わず普段なら書かないアンケートも書いてきてしまいましたが、「20歳ぐらい若返らせてもらいました」。
久しぶりに熱い情熱のこもった声の響きが聴けて嬉しかったなあ。
若く信念に満ちた声、その声高らかに。じ~んとするのも何十年ぶりだろう。
舞台は20代の頃、メジャーもマイナーもよく観に行きましたが、今回の作品はその中でも「俳優陣の情熱の発露」は1・2を争います。
若い人たちの活躍をみてみたいと思ったのは「ひよった」証拠かと、ビミョ~な心持ちの一日でした。

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2017年4月20日

手形

なぜだか実家に若乃花の手形の色紙があります。
お相撲さんの手形はよく魔除けになるといわれています。
確かに古い手形にも生気したたるような迫力ある手形というのが存在します。
書道と同じで筆勢というか、すごみがあるものっていうのはその人を離れてもその力が残っているものだと改めて思います。

さて、卓球台に手形をつける人がいます。
台のネット際までいって手形をつけるのです。
僕らが小さい頃、それをやると、次のポイントがとれるというジンクスがあり、お互いに付け合ったり相手の上に自分の手形を上書きしたりして「きたねーなー」とかいって笑いながら楽しく遊んでいました。

数年前にテレビでアナウンサーが「それにはどういった意味があるんですか?」と質問していて「汗を拭いています」と真顔で答えていた選手がいました。
そこで手を乾かしているというのです。
衛生面でのことは百歩ゆずるとしても、どちらにせよ、みっともないことこの上ない。
この選手はたぶん自分で台を拭いたことなんてないのでしょう。
掃除をする人の苦労なんてまるで考えてないのがよくわかります。

何かの権利を証明する書面のことを手形といいますが、卓球台はみんなのものですから、べたべたマーキングのように手形をつけるのはやめてもらいたいものです。

近い将来、マーキングをしたところをペットボトルの水をかけて掃除しながら練習するといった光景の見られる卓球場があらわれませんように。


2017年4月9日

ライブ・アゲイン

エルトン永田とちちんぷいぷい(佐藤克彦・酒井杏)の二度目のライブです。
前回から半年。
エルトンさんと佐藤さんという超強力なバックアップに若き才能・酒井さんが喰らいついてきたのがよくわかるライブでした。

今回お願いしたのはふたつ。
酒井さんの絵を一枚所望。
二つ目は酒井さんにラジオDJ風のトークの時間をつくってもらうことでした。
酒井さんの絵は星降る夜に、星の上でギターを奏でながら歌っている少女の絵で、とても色使いがきれい。
ある晩、酒井さんが夜空を見上げたら、そこに満月が出ていて、まるでピンポン球のようだったそうです。
そして沢山の流れ星はもちろんみなさんのスマッシュ!
とてもとても素敵な絵を描いて下さいました。
卓球ファンも酒井さんファンも、ぜひ見においでください。
そして新曲「月灯りの下で」は、なんとステップインに捧げますと唄って下さいました。
持ち歌はもちろんのこと、リクエストに応えて唄ってくれた中島みゆきの「ファイト!」は素晴らしかった。
歌を聴いて涙ぐんでしまったのは本当に久しぶりのことでした。
常になステップインですが、「ライブ・ステップイン」はこれからどこへ向かっていくんでしょう?

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2017年4月8日

坐禅体験記

ステップイン・伊野さんの計らいで、この度、坐禅を体験する機会に恵まれた。

これまで興味はありながら、なかなかご縁がなかった坐禅。今回は哲学がご専門の野矢先生によるご指導と伺い、どのような切り口なのだろうと高まる期待。また、一緒に体験する小学生の息子は何を感じるのだろう?と、そんな楽しみもあった。

案内されたそこは大学内にある禅堂「三昧堂」。中に入ると、まだ冬の寒さの残る凜とした空気と、少し早い春の柔らかな陽光が心地よかった。

はじめに坐禅についてのお話がされ、座り方と呼吸の仕方の説明を受けた。鼻で行う腹式呼吸をなるべく長く少なく、1分間で3回以下に抑えるとよいという。
坐禅の前に1分間、皆で呼吸をしてみることに。既に理想的な呼吸数の方もいらしたが、私はとても3回以下には抑えられなかった。驚きである。長く深い呼吸がこんなにも難しいものだったとは!知らず知らずのうちに、浅く忙(せわ)しい呼吸が習慣化していたようだ。

呼吸法を確認したところで、いよいよ坐禅である。今回は皆、初心者のため、10分間の坐禅を3回行うプログラムが組まれた。さぁ、緊張の1回目。

身体に歪みがないよう身体の中心を感じながら、呼吸に集中しようとするものの、やはり長く息を吐くのが難しい。外のテニスコートでボールを打つ音が響き、鳥のさえずりも聞こえてくる中、ん?くしゃみ?

あぁ、このくしゃみは息子のくしゃみ。止まらない…連発だ。やっと止まったと思いきや、今度は鼻をすすっている。一度、鼻をかんだ方がよいのではないか?どうするのか?などとぐるぐる考えているうちに1回目の10分が過ぎた。私、全然、ダメじゃないか…

2回目の坐禅。ここでも暫くくしゃみの音。皆の集中の妨げになるから、お願い、早く止まってと、余計なことをつい思ってしまう。また、そう思ってしまう自分を強く意識してしまい2回目も終了。あぁ、私は何をやってるのだろう…

最後となる3回目。今度は坐禅中に呼吸を数える方法、数息観(すそくかん)を行い集中を試みる。3回目にしてくしゃみもなく自分の呼吸と向き合えたように思うが、やはり呼吸はかなりの回数であった。

今回の体験で気づいたこと、それは自分が如何に雑念が多く、気持ちが定まらず、呼吸が浅いかということで、先生の仰る坐禅の気持ち良さや、坐禅の先に見えてくるものまでは、とても感じ取ることはできなかった。

だが、3回の坐禅の合間合間にされた野矢先生のお話は、不思議とストンと入って来たのである。自然と届いたのだ。これはあの空間の中で「受け入れる」体勢が作れた、整ったということではないだろうか。

坐禅を続けていくのは環境的に難しいが、呼吸法やものごとの捉え方等、取り入れられるものは取り入れて、自分と向き合うきっかけとしていきたい、そう思う貴重な体験となった。感謝である。

最後に息子のくしゃみについて。小さな頃から部屋を移動したり空気感が変わると、くしゃみが出る体質である。あのくしゃみも、皆が己と向き合う気のようなものがその場の空気を変え(理想の緊張感ある空気には程遠かっただろうが)、それに息子の身体が反応したのでは?などと思うのは、子を庇う、親心からなる雑念なのであろうか?
卓球クラブ ステップイン クラブチーム保護者 M.I

−野矢先生のお話は、不思議とストンと入って来たのである。自然と届いたのだ。これはあの空間の中で「受け入れる」体勢が作れた、整ったということではないだろうか。−
今回、これこそがキモなんです。二年前に野矢さんに問いかけた「弓と禅」(オイデン・ヘリゲル)の中の呼吸法について、「そこに何が立ち現れるか?」が僕の中でずっと問題だったのですが、まるで違う問いかけの中から、野矢さんはみごとに答えを示唆して下さったし、M.Iさんも、野矢さんとは違う言葉でそれをみごとにすくいあげて下さった。恐れ入りました。
伊野猛

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2017年4月2日

第4回草の根版日中交歓卓球大会

羽佳順子さんのお誘いで第4回日中交歓卓球大会に参加してきました。
2017年は日中両国の国交が正常化して45周年の節目にあたります。
日中国交正常化の卓球大会にはご縁があり荻村伊智朗さんご存命の時から3回ほど裏方をさせていただいてました。今回はお手伝いもせず「お客さん」を決め込んで、楽しませていただきました。
懇親会で初めて中国の「変面」をみさせていただき、技の卓越さに驚きました。
「変面」というのはお面の早変わりで、高速カメラを使っても、いつ変わったのかどうやっているのかわからないという鮮やかさです。
日本の出し物は和太鼓を使った現代風のライブでした。
境界をなくすというのではなく、境界を飛び越えられる力がスポーツにもある、と確信した会でした。
久しぶりにネクタイをして(20年ほど前に荻村さんにいただいた、当時はハデに見えた赤色のネクタイをして)みました。
ところが赤のネクタイをしても今の自分には以外になじんでいてびっくり。8年後の「赤いちゃんちゃんこ」も似合っちゃいそうで、ちょっと恐いです。

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2017年3月20日

野矢茂樹先生の坐禅のこと

さすが野矢先生。参りました。 こちらが投げかける質問のどんなつまらないことも宝石のように輝かせて返してくださる、そんな方でした。
こんな先生に若いうちに出会えたら人生変わっただろうな。
でもあきらめません。
これから精進していつか野矢さんを超えてやるぅ。頑張るぞー!


2017年3月1日

兵法書について

うむむむむ、2月10日のINNOBAで「中国と日本の兵法書の違いは、中国は集団の戦、日本は個人の戦、精神性の高みをもっての技の完成」というようなことを書いてしまったのですが、はたと気づいたら、小さい頃に読んだ「甲陽軍艦」(武田三代を中心とした戦記物」は完全に集団ものだし、中国には個々に「少林寺拳法」など日本でもよく知られる個人の戦術・技術の奥義書が、それこそ諸子百家、百花繚乱、沢山あったのをうっかりしてました。
なぜこんなポカをしたのか自分でも信じられないくらいです。
10年ほど前には、その道の達人のお話をお聞きするために、足を運び、運んでいただき勉強した時期もあったというのに、お恥ずかしいかぎりです。

精神の高みということにおいても「FLOW韓氏意拳の哲学」という本は、とても格調高い本です。どうぞみなさん、ご一読下さい。

僕も恥をさらけ出してでも、でもどんどん成長していきたいと思います。
ご指南のほどお願いします。


2017年2月25日

村上春樹の「騎士団長殺し」について

待望の新刊がでました。

村上春樹氏の作品の多くは、主人公が日常の中で、ある日突然何かが損なわれ、損なわれてしまったものを取り戻すべく(その世界から脱出すべく)、その時が満ちてくるまで堪え続けるという話になっています。
突然嵐がやってきて、嵐が過ぎ去るその時まで堪えられる体力と気力があるかどうか(あるいはほんの一握りの幸運や機運に気がつくか、そこにあるもので、つくれるかどうか)が全ての鍵を握っている、ということに終始しているように思います。
おお、ここでもスポーツと同じじゃないか!
今、第三章まで読んだところですが、今までの作品よりも更に洗練された状況設定と文章に加え、これまでよりも最初からわかりやすい?メタファーに満ちあふれ(第2部が「遷ろうメタファー編」なのに第1部でこんなにだなんて!ど~しよー)、結末のイメージがが幾通りにも膨らみ、はらはらどきどき、今までの村上作品のなかでも最高の予感です。


2017年2月10日

スポーツと坐禅について

スポーツも勝負の世界に立ち入ると、恐れや不安や焦り、失意、慢心、諦めやなど、心の葛藤が増してくる場合があります。
そういったものから脱し、平静な心持ちでいたいと願う人がいると思います。
そうなった時に考えるのは、極限の戦いー命のやり取りーをしたような人たちは
いったいどうやってその恐怖から逃れたのか?
どうすればそんな極限状態でも自分を保ち勝利できるのか?といったことです。

その問いかけに応えるテキストとして、古くは中国の「孫子」(戦わずして勝つ)、「六韜」(虎の巻)、「三十六計」(「逃げるが勝ち」とは直接関係ないようですが)などの有名な書物があります。
これらは兵法書とか軍略書と呼ばれているものです。
日本では将軍家指南役として名高い柳生但馬守の「兵法家伝書」、宮本武蔵の「五輪書」といった極意書があります。

中国と日本のテキストを比べると中国は集団による「戦術と戦略」が主で、日本は「自己完成による自然な勝利」を基調とした、個々の精神性に基づく技術の高みを目指すものが多いように感じます。
「剣禅一如」という言葉に代表されますが、そこで勝負の世界にも禅が絡んできます。

僕が「坐禅は無になること」と勘違いしていたのは、若い頃に読んだ「兵法家伝書」の中で「無」という言葉が強く印象に残っていたためと思われます。

あれこれ調べていくと以前より多くのことが繋がってきました。
「剣禅一如」「茶禅一味」などは全て、「自己コントロールの手法」で、「自在な自分をつくるためのシステム」だと思っていますので、ここに競技スポーツや健康スポーツ、ひいては日常生活のための心体操作をどう捉えてどう実践していくか、あらためて取り組んでいきたいと思います。
とても楽しいことになってきました。


2017年2月3日

豆まきと鬼の平野早矢香さん

今日は豆まき。鬼は外で、思い出した平野さんのこと。

平野さんはなぜかテレビ東京の放送で「鬼」と言われていました。
もともと丸顔の愛嬌のある顔立ちなので、テレビで試合をみても、会場で試合をみていても鬼のようにはまるで見えないのですが、昨年の講習会では、鬼のような凄みは随所に感じました。

まず圧巻だったのは、多球で速さトレーニングをした時のこと。思い切ってどこへでも強打して下さいと言われ、絶対とれないと思われるコースの組合わせで徹底的に強打しつづけました。確かにリターンできたボールは僅かでしたし、当たらなかったことの方が多かったのですが、平野さんは最後まで「観たままに動いた」のです。

これがなかなか難しい。普通の人だとスマッシュされると、慌てて集中力がなくなって余計とれなくなります。少しうまい人でも、すぐ後ろに後退して距離と時間を稼ごうとします。上手い人でもとれないとヤマをはります。ヤマをはらないとしょうがない時もありますが、フォアかバックのふたつだけでしたら半分はあたりますが、コースが無限にある限りヤマのあたる確率はとても低くなります。

平野さんはそこをギャンブルにしなかった。平野さんは最後まで平然と構え、姿勢をまるで崩しませんでした。その微動だにせず、その時出来ることを淡々と粛々と進めていくには、とんでもない胆力が必要です。
どれだけ日常の心がけ、修練を積み重ねてきたのでしょう。ほれぼれするような見事な立ち姿でした。
昔、人の力を凌駕した強い力をもつものに対して恐れと畏敬の念をこめて「鬼神」と呼んだそうで、もともと鬼も神も同じものだと聞いたことがあります。自分に対して益するものを神と呼び、害するものを鬼と呼んだということです。
平野早矢香さんは正に鬼神でした。
「神ってる」でも「鬼ってる」でも本当に平野さんはカッコ良いいのです。
豆まきをする代りに今日は子どもたちにスマッシュをばらまいて、邪気を払おうっと。


2017年2月1日

坐禅のこと1

突然イベントが決まりました。「本物にであう 第6弾」です。今回は坐禅。
東京大学教養学部教授の野矢茂樹先生による坐禅です。

先日野矢さんとお話をしていたところ
「坐禅は呼吸に集中しながら、意識を外にひらいていくんですよ」というようなことを言われ、びっくりしてしまいました。
僕の中では坐禅は「無の境地」になるものだと思っていたので、そこに集中だとか意識というものが入ってくるとは思ってもいませんでした。「えっ?それってスポーツと同じじゃないですか?」といったことになり、いつものごとく無理なお願いをしてしまいました。実現できることになり嬉しいかぎりです。
野矢さんはじめ皆さんには又々ご迷惑をおかけします。でもまたひとつ境界線を無くすことができると思いますのでご容赦ください。

野矢先生はウィトゲンシュタイン研究の第一人者であり、出す本出す本、哲学書コーナーでは必ず平積みにされているような、すごい哲学者なのですが、そのお人柄が滲みでるような、とっつきやすく気さくな文章で、ついつい難しいことも解ったような気にさせてくれる魔法使いのような方です。

また僕の新たな挑戦が始まりました。
みなさん、僕のドジっぷりを一緒に笑っておつきあい下さい。


2017年1月8日

お初釜

今年もお初釜に呼んでいただけました。

20年以上前になりますが、裏千家の茶道を習っていました。
茶壺の紐の結びあたりまでは頑張っていましたが、当時は勤めていたので、立場的にお稽古を続けるのが難しくなり断念しました。
しかし、いまだに敬愛する斉藤宗幸先生にお声をかけていただいた時は必ずお伺いさせていただき、お茶を楽しんでいます。
斉藤先生をはじめ、私の兄弟子、姉弟子の皆さんがまたとびきり素敵な方達ばかりで、お話も楽しく、お初釜の終わった後は興奮してなかなか寝付けません。

先生は今年米寿になられ、足も少しばかりおぼつかない時もありますが、細やかな気配りと、凛とした気持ちの溢れ出る所作がすばらしく、できることならその凛とした何かを少しでも受け継ぎたいと常々思っております。

考えてみると私はすばらしい人たちと出会うことに恵まれていて、年上から年下まで様々な分野において尊敬できる人が多く、その方たちに少しでも追いつきたいと思うのですが、実際に同じようにしてみると、へこたれてめげてしまい、すぐに放り出すしかないのですが、こりもせず、暫くするとまた頑張る気持ちが顔を出すのです。


2017年1月1日

今年もよろしくお願いします。

昨年は夢のような一年でした。
今年は「自分掃除」をしながら、これまで沢山の方に教えていただいたことを次代につなげるような活動をしていきたいと思います。
ご指導のほどおねがいいたします。


INONOBA ~月記・降っても晴れても~ (Bloggerにも掲載中)

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